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2011年5月29日日曜日

兵庫の日本共産党福島県いわき双葉地区を支援


兵庫県内の日本共産党組織は、東日本大震災被災地の救援・復興を長期的にボランティア支援する地域を福島県いわき双葉地区として活動を始めています。その第一陣として現地に入った平野貞雄氏の報告です。


長期的にさまざまな形での支援を:東日本大震災
西宮芦屋地区・平野貞雄
阪神・淡路大震災経験した兵庫から—と期待高く

いわき市の海岸部(5月18日)

五月十六日から十八日までの二泊三日で、福島県いわき市での被災地支援ボランティア活動を行ってきました。芦屋・西宮の議員を中心に九名のボランティア隊です。

東北新幹線郡山駅で磐越東線に乗り換え、阿武隈山地の新緑が迎えてくれる中をいわき市へと向かいました。いわき市は一九六六年に五市四町五村が合併して当時日本一広い市として誕生(現在は二位)。内陸部にある市街地は、阪神・淡路大震災の体験からみて、震災の被害もさほど大きくはないように見えましたが、それでも市役所は地盤が一部沈下して、一階の一部事務スペースが使用不可になっていました。

私たちを受け入れたのは、「福島原発」をかかえる「いわき双葉地区委員会」です。連休までは多くのボランティアが駆けつけたようですが、私たちが行くまでの一週間は少し中断があったようで、阪神・淡路大震災のあった兵庫から来るということで、あらためて受け入れ体制を整え、地元のボランティア参加も呼びかけて、私たちを迎えてくれました。

ボランティアの活動拠点になっていたのは、延期になった県会議員選挙に立候補を予定していた長谷部あつし元県会議員の事務所で、いまは党の「復興共同センター」となっています。私を含む三人は他県からのボランティアとともにここで宿泊しました。

津波の爪あとに言葉失う

がれきの撤去(5月17日、いわき市内)
市街地の中にある「センター」の周辺は、倒壊したビルもなく、町は落ち着いた感じに見えましたが、到着翌日からの作業の現場周辺は、言葉を失う惨状でした。

センターからマイクロバスに乗って二十分ほどで、海岸沿いにあるボランティアの作業現場につくのですが、その間にある山々には葡萄の房のような藤の花が、今が盛りと咲いていました。農地では田植えなどの作業姿もありました。

ところが、海岸部に出ると様相が一変。津波の荒れ狂った爪あとが――倒壊してがれきとなった家屋、鉄筋むきだしの電柱、壊れた防潮堤、ひっくり返った車などとなって――私たちの目に飛び込んできました。それはまさに映画のセットかと錯覚するような非日常の世界でした。

作業は、床下の泥の排出、がれきの撤去、住宅周辺の土砂の搬出、家屋内の清掃、溝のがれき撤去などです。

「共産党のみなさん、お世話になりました。ここでがんばっていこうという勇気が出てきました」―作業を終えて帰る私たちにかけられたこの言葉に、ボランティアに参加した意味をかみしめました。

地元ボランティアにも元気を届けられた

三月十一日の大地震発生で、脳裏によみがえったのは十六年前の阪神・淡路大震災です。それはがれきと化した町の情景であるとともに、近隣はもとより全国各地からの支援、わけてもボランティアでかけつけてくれた多くの人たちの姿でした。そして「自分も行かなければ…」との思いに駆られながら、直後に選挙戦を控えて、行くに行けないもどかしさの中でのこの二カ月でした。

わずか二泊三日で何ができるのか、必要経費をカンパするほうがよほど役に立つのではないか…そんなためらいがよぎりながらも、それでもやはり行かないわけにはいかない、そんな思いに駆り立てたのは、十六年前の体験があったからです。

短期間の参加でしたが、支援に入ったお宅の方だけでなく、地元のボランティアの人たちにも元気を届けることができたのではないかと思います。被災地にはまだまだ多くの課題が山積しており、息の長い支援が必要です。直接のボランティア参加だけでなく、可能な様々な形での支援を続けていかなければと思います。


西宮市と芦屋市の議員を中心としたボランティア隊:
(前列右から)平野貞雄、上田さち子、(後列右から)まつお正秀、
杉山たかのり、佐藤みち子、野口あけみ、田中恵美子、大森奈美、
木野下あきら——の各氏(左後ろは群馬県からの人)

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

救援バザー6月18日:女性後援会

物品も募集中

「東日本大震災救援バザー」が六月十八日(土)、日本共産党兵庫県委員会事務所(神戸市兵庫区新開地三丁目)で開かれます。

安武ひろ子さん・藤木洋子さん・大沢たつみさんらが呼びかけた実行委員会と党兵庫県女性後援会の共催です。

午前十時から午後四時まで、一階に「バザー広場」を開き、食器、日用品、衣料品(子ども用あり)、バッグ、靴など掘り出しもの多数を準備しています。

また、三階には「展示・交流の場」を設け、安武さんの絵画の展示、手作り小物、被災地産の野菜、軽食・コーヒーの販売も行われます。

このバザーに向け同実行委員会では物品提供を呼びかけています。

問い合わせ☎078・577・6255


(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

2t車で宮城へ救援活動

16年前の阪神淡路大震災では、全国各地の農民連から兵庫に、多くの農作物が届けられました。「今度は私たちが」と兵庫県農民連の永井脩会長らが5月9日、救援物資を積み、宮城農民連に向かいました。上野信行事務局長のレポートです。

兵庫県農民運動連合会事務局長 上野 信行

武田さん夫妻(右)と永井会長(中央)、上野さん(左)
9日朝、レンタカー(2t車)を借り、事務所を出発しました。

積み込んだのは、米5kg入り192袋、もち米60kg、タマネギ450kg、淡路オレンジ270kg、味噌2kg、そして下着や石けんなどの雑貨類です。農民連生産者から寄せられました。

宮城農民連事務所に着いたのは22時過ぎ。その晩は、事務所2階を借り寝袋で寝ました。

翌朝、東松島市へ。被災した自宅をそのままにして救援活動に奔走している、宮城農民連役員の武田久夫さん宅の掃除を手伝いました。潮水に漬かった畳の廃棄、泥の除去、隣家の畑に積もったゴミの除去などを2日間、おこないました。

この作業を、ご夫婦2人だけでは何日もかかり、精神的にも大変だろうと思いました。

「三陸海岸と違い、じわっと津波が胸まできた。すぐ屋根裏に逃げたが、納屋に避難したおじいさんだけが助からなかった。私たちは翌日、自衛隊員に助けられた」と奥さんは話していました。

この地域の田んぼは瓦礫が手つかずです。泥が相当量流れ込んでいました。武田さん宅から見える田んぼが、代掻きをした後のようでした。聞くと、潮水とのこと。地盤が沈下し、潮水がひかないのです。

武田さんは「3年は米は作れないと思う」と語っていました。稲穂が見られるのは、いつの日でしょうか。

宮城に届けた救援物資
東松島市には航空自衛隊基地があります。武田さん宅のすぐ近所です。作業中もときどき、飛行機の離陸の轟音がします。武田さんは「ふだんはもっとひどい。戦闘機が津波にあい、飛べなくなっている。いまは輸送機だけ。静かになった」と話していました。

瓦礫処理場や町内移動中にも、自衛隊の車にたくさん出会いました。基地のない町に住む私たちには、異様な感じがしました。

救援・支援活動がこれからも長期にわたるだろう、と思いながら12日早朝、宮城をあとにしました。

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

東日本大震災青年ボランティア報告会

要望に応え、喜ばれ、自信に


兵庫学生青年ボランティアツアー実行委員会は五月二十一日、神戸市内で「東日本大震災救援ボランティア報告会」を開きました。

はじめに、四月二十九日から五月五日、宮城県仙台市の青年センターを軸に、岩沼市や南三陸町、仙台市若林区などで行った物資配布や要望聞き、泥だし・泥かきなどのボランティアのようすをスライド写真を使って紹介。その後、ボランティアに参加したメンバーが、それぞれ感想を話しました。

和歌山から参加した学生のY君は、「受験に失敗した悩みを解こうと参加した。はじめは自分から声をかけられなかったけど、泥だしなど自分ができることで喜ばれてよかった。家の方がおにぎりをもってきてくれ、人間の温かさを感じた」と話しました。

関西福祉大から参加したT君は、「最初は行って仕事があるのかな?とか、現地の人に怒られるんじゃないかとか緊張したけど、要望にこたえていくなかで、喜ばれて自信になっていった」と感想を語りました。

ツアーに参加した日本共産党兵庫県委員会の門屋史明氏からは「ボランティア活動や被災者の方から直接聞いた声から、大切な提起がされている」と日本共産党の「大震災・原発災害にあたっての提言(第二次)の内容が紹介されました。

報告を受けた討論では、「それぞれの思いで参加されたみなさんの気持ちが被災された方との交流を通して伝わり、一つの活動をつくってきたことに感動しました」「政府をあげた支援ももっと必要だし、自分たちも何ができるのか、どういう支援や国づくりをすすめていったらいいのか考えていきたい」などの感想が寄せられました。

最後に、民青同盟兵庫県委員会副委員長の板東正恵さんが、ボランティア活動とあわせ、復興や原発問題などへの模索にこたえる学びや、被災者生活再建支援法の抜本拡充を求める署名行動などの行動提起をしました。

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

兵庫学生新歓実行委員会が企画つぎつぎ

社会読み解く科学の目を

連続学問講座:原発事故の本質学ぶ

第二回連続学問講座
兵庫学生新歓実行委員会は五月二十日、日本科学者会議兵庫支部の後援を受け、連続学問講座 「福島原発事故とは何だったのか?」を開催。チラシやポスターをみた神戸大学生らが参加しました。

講演は、中川和道神戸大学発達科学部教授(放射光物性物理専攻)が映像も使いながら行いました。

中川氏は、放射能について、核分裂反応などの原理的な部分から説明したあと、福島第一原発の「軽水炉」型原子炉の構造も示し、福島第一原発事故について詳しく解説しました。

そのなかで東京電力について、「そもそも危険な原発を、『事故は起こるはずがない』と何の備えもしてこなかった東電の責任は重い。株主も含めて責任をおうべき」と批判しました。

最後に、「新聞で言われていることは、ごく一部だし、いまは情報を統制されている気もする。知識を身につけ、読み解く目をもってほしい」と参加者に訴えました。

参加者からは、「ネットや本で知ることができないことも聞けて良かった」「福島原発の問題が、社会の現状、対策についてもつながっていて今後どうするか考えるべきだと思った」などの感想がが寄せられました。

なんでもフェスタ:きょう5月29日開催

今年の新入生歓迎の最大のイベント「なんでもフェスタ・パートV」はきょう五月二十九日、開催です。

東日本大震災被災地支援ボランティア報告や原発事故問題などとあわせて、石川康宏氏(神戸女学院大教授)を迎え、「大学の学問とマルクスのかじり方」と題した講演も行います。

「なんでもフェスタ・パートV」は、午前十時開会。会場は「コミスタ神戸」(阪神春日野道駅駅から国道2号線山側を西へ徒歩三分)。石川氏の講演は午後二時からの予定です。

第3回連続学問講座:二宮教授迎え6月29日開催

また第三回連続学問講座は、二宮厚美氏(神戸大学発達科学部教授)を迎え、「3・11後の日本の政治と経済」と題して六月二十九日(水)午後六時から、神戸学生青年センター会議室A(阪急六甲駅から北へ徒歩三分)で行います。


(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

加西市議選:井上芳弘氏7選

井上芳弘氏
加西市議選(定数三減の十五、立候補二十二人)は五月二十二日、投開票が行われ、日本共産党の井上芳弘氏(59)が、前回二〇〇七年市議選、一〇年参院比例と比べ、得票数・率ともに伸ばし、六位で当選。七期目の議席を確保しました。

井上氏は、災害に強いまちづくり、国保料引き下げ、中学校卒業までの子ども医療費無料化などの政策を訴え、支持を広げました。





投票率 得票数 得票率 定数 議席占有率
井上芳弘 72.44 1,454 5.33 15 6.67
07年市議選 69.77 1,301 4.81 18 5.56
10年参院比例 55.13 842 4.07


(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

中央区革新懇:舞子の歴史を歩く

舞子砲台跡にて
五月二十一日、中央区革新懇は恒例の「遺跡・旧跡ウオッチング」で舞子海岸を歩きました。

まず、明石海峡大橋のたもとで勝海舟が築いた「舞子砲台」の石垣遺跡を見学しました。

そのあと今は「孫文記念館」となっている「移情閣」に入館。辛亥革命百年を記念した中国革命と孫文の業績、孫文を支援した人たちについての展示に見入りました。

続いて隣接する「旧武藤山治邸」に入館。ここは国指定の文化財ですが、鐘紡社長、代議士を務めたあと、「時事新報」社長として「帝人事件」を究明し、その直後に暗殺された武藤山治の事跡を展示しています。

陸橋を渡ると近年発掘された「舞子浜遺跡」があり、五色塚古墳の造成に従った人たちの埴輪棺が多く出たところです。

有栖川宮邸跡「舞子ビラ」を覗いたあと、五色塚古墳に到着。日本書紀はじめ文献上有名なこの県下最大の古墳も一九七〇年代に発掘・復元されたものです。

(中央区革新懇・戸崎曽太郎)

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

城谷恵治三田市会議員の議員辞職について

日本共産党阪神北地区委員会の西中孝男委員長は五月二十三日、次のとおり声明を発表しました。
城谷恵治三田市議は、五月二十日の夜、酒に酔って、神戸電鉄の車両の窓ガラスを破損し、事情を聞こうとした駅員を殴り、現行犯で逮捕されました。日本共産党議員として、絶対あってはならないことであり、市民の期待と信頼を裏切る行為を行なったことに心からお詫び申し上げます。また、関係各位のみなさんに多大な迷惑をおかけしたことをお詫びし、二度とこのようなことがないようつとめます。

城谷恵治議員は、自ら行なった行為に深く反省するとともに、責任を痛感し、市会議員を辞職します。このような形で党議員の議席を失うことになり、党員、支持者のみなさんに心からお詫び申し上げます。

今後、日本共産党阪神北地区委員会と三田市会議員団は力を合わせ、市民からの信頼回復に全力をあげてゆきます。

二〇一一年五月二十三日

日本共産党阪神北地区委員会
地区委員長 西中孝男

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

北はりま教育9条の会:鶉野飛行場跡を見学

いまも残る戦争遺跡

加西市内に残る銃座跡を見る参加者たち
北はりま教育9条の会主催、第1回平和市民講座が5月21日、加西市内でひらかれました。鶉野(うずらの)飛行場跡と周辺に残る戦争遺跡を見学する講座です。

同会事務局長で、県立北条高校教諭の稲次寛さんが案内。約40人が参加しました。

鶉野飛行場は、旧姫路海軍航空隊基地でした。飛行士訓練飛行場です。43年開設へむけた工事は、強制労働に連れてこられた朝鮮人や地元住民らが、毎日1千人動員されました。ほとんど手作業でした。

戦争末期には、基地隊員で編成された特攻隊「白鷺隊」が鹿児島県の串良基地から飛び立ち、63人が戦死しています。隊員たちが訓練中下宿した周辺の家には、彼らの遺書が残っています。滑走路横には「平和祈念の碑」が建っています。現在飛行場跡の一部は神戸大学農学部農学研究所の敷地になっています。

鶉野飛行場の滑走路後で説明する稲次寛さん
参加者らは、車に分乗し、飛行場跡周辺に数多く点在する防空壕跡や機銃座跡、貯蔵庫跡などを見て回りました。大学農場周辺には約10m間隔に掘られた防空壕跡があり、民家や田畑に隣接した防空壕もありました。稲次さんは「大学の農場を掘れば、いまも防空壕がそのままの形で残っている」と言います。

参加者のひとり、小林好一さん(91)=加東市=は、補充兵として千島列島の占守島に送られましたが、九死に一生を得ました。「友も親戚も戦争で大勢死にました。私も艦砲射撃にあった。戦争を絶対繰り返してはならない」と語りました。(


2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

神戸の造船を残そう連絡会神戸市に要請

原発特化の見直しを

三菱重工神戸造船所の商船建造をつづけさせようと活動する「神戸の造船を残そう連絡会」の代表4人が5月20日、神戸市に要請をしました。

神戸市は昨年7月と12月、三菱重工社長に「神戸での商船建造をつづけてほしい」と要請しています。

同連絡会は、東日本大震災が起きて、原子力発電所の危険性が世界に明らかになった新しい情勢のもとで、▽「商船建造から撤退し原発に特化する」という三菱重工の事業方針の見直しを求める▽このままでは商船建造が来春になくなるおそれがあり、地域経済を立て直し、下請け労働者らの雇用を守るためにも、市が積極的に発言する▽造船技術を生かす道を考える―などを市に強く要請しました。

応対した産業振興局の仲田光男主幹と多名部重則主査は「神戸市は2回も三菱重工に商船建造継続を要請している。いまは政府のエネルギー政策の見直しを注視している」「要請の趣旨を矢田立郎市長に伝えます」と応えました。

写真:神戸市に申し入れる「神戸の造船を残そう連絡会」(向こう側)=5月20日

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

連合独占是正し地労委の活性化を

兵庫県地労委対策会議が学習会

兵庫県地労委対策会議(羽柴修代表)の労働委員会活用学習会が5月20日、神戸市婦人会館でひらかれ、約70人が参加しました。

兵庫県労働委員会の労働者委員(7人)は、連合兵庫系が独占しています。同対策会議は01年から07年、県を相手に、5次の労働者委員選任処分取消訴訟を闘ってきました。

挨拶で羽柴弁護士は「裁判所はいずれも却下したが、貝原俊民元県知事の証人採用を実現し、7人が指定席だと認めさせた。県を追いつめつつある。憲法で保障された労働者の権利を守るため、労働委員会をもっと活用し活性化させよう」と述べました。

水谷正人神奈川県労連議長が講演。昨年4月、神奈川県労働委員会労働者委員になるまでの経過と、就任後は委員会にいい緊張がうまれ、活性化した状況を紹介しました。

写真:労働者委員としての活動を紹介する水谷正人神奈川県労連議長

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

一コマまんが

東電任せでは不安は消えない


段 重喜

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

観感楽学

『年金不信』というドキュメンタリー番組が放映された。若者に年金についてインタビュー。「年金をかけていますか?」「年をとっても、もらえるかわからないから、かけていない」。画面に「現在年金未納三三〇万人」とのテロップ。続いて無年金障害者の実情がリアルに映し出された▼尼崎の原静子さん(66)は大学四年生の時交通事故で車いす生活に。自宅で学習塾を開きギリギリの生活を支えてきた。現在、老齢年金五万円を受給しているが、障害年金は一度も支給されたことがない▼Fさん(26・男)は二十一歳の時、交通事故に遭い脳損傷。重度の機能障害になったが、納付期間が三カ月不足で無年金。医療費、生活費すべて親の世話に▼このような事例は多く、昨年の無年金障害者の会の「年金一一〇番」には二日間で百二十六人から相談。その後の電話相談も後をたたない▼二〇〇二年の厚労省発表で無年金障害者は十二万人とも。年金不信の現在、無年金障害者はまだまだ増えると予測される▼東日本大震災被災者はすべて納付免除申請ができる。無年金障害者を生み出さないためにも、直ちに申請するよう政府・自治体あげて周知徹底が望まれる。 (N)

(2011年5月29日付「兵庫民報」掲載)

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